変えられた人

成功への不思議な道

私は生まれてからこのかた、何よりもNFLチームのフットボールコーチになりたいと思っていました.

神様よりも家族よりも、とにかくコーチになることが大切だと考えていたときさえあります。私はすぐに、この世的なゲームプランにのめりこんでしまいました。私の目には、ヘッドコーチになれば、お金も信望も、望むものは何でも手に入るように見えました。私は自分が立てた目標に取りつかれてしまいました.


警鐘


神様が私に最初の警鐘を鳴らしたのは1972年のこと、ジョージ・サレルという小柄で控えめな日曜学校の先生に出会ったときです。私はその頃、アーカンソー大学でコーチをしていました。彼は自分にも神様にも満足しているような人でした。私は、ジョージのようにリラックスして人生を楽しむことができるような人々をうらやましく思いました。ジョージの生活を見ながら、この世的なゲームプランのほかに、もっと別のゲームプランがあることがわかり始めたのです。神様のプランはお金や地位、フットボールの試合に勝つことに根ざしているわけではありません。9歳のときにクリスチャンになった私ですが、神様を一番に考えることはありませんでした。ジョージがこのことを私に気付かせてくれたのです.

神様によって私が通らされた重要な過程の一つは、神様を信じて、自分のキャリアを委ねるということです。1978年、タンパベイ・バッカニアーズのオフェンスコーディネーターとなって初めての年、私はヘッドコーチになれるまで、あと一歩のところにいました.

そのプランは、チームがそのシーズンを不本意に終えると同時に消え去り、私はサンディエゴ・チャージャーズから仕事をオファーされました。問題は、オファーされたポジションが、バックスのコーチだったということです。これでは、キャリアの逆戻りであり、アシスタントコーチの下で働くことになります。プライドが邪魔をしました。私はその仕事を引き受けましたが、心には平安がありませんでした.


空港での出来事

私はアーカンソーにジョージを訪ねることにしました。飛行機に乗りましたが、吹雪のためアーカンソーに行くことができないのです。「どうしてですか。あなたはどうしてこんな仕打ちをなさるのですか」私は神様に聞いていました.

空港で私は一人の人に出会いました。彼から身の上話を聞くと、自分の体験と全く同じではありませんか。彼もずっと望んでいた仕事を失って、それを取り戻すためにありとあらゆることをしたと言うのです。その後、神様がよしとされる時に、神様はその仕事を彼にお返しになったそうです。神様はこの人を私のもとに遣わし、私がするべきことを示してくださったのです。私は自分が置かれている状況を神様にお委ねすることにしました。2週間もしないうちに、オフェンスコーディネーターが辞め、その仕事が私にまわってきました。それからさらに2年後、私はワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチになりました.

私は、幸せになりたい、成功したいと思っていました。そしてずっとそのような道を歩んでいたのです。自分が求めているものは、努力して追い求めるようなものではないことが私にはわかりました。成功や幸福というものは、神様に委ねた人生の副産物だったのです。私はこの教訓を一度ならず何度も学ばねばならなかったような気がします。いえ、いろいろな意味では、今なお学んでいるのです.

私は、幸せになりたい、成功したいと思っていました。そしてずっとそのような道を歩んでいたのです。自分が求めているものは、努力して追い求めるようなものではないことが私にはわかりました。成功や幸福というものは、神様に委ねた人生の副産物だったのです。私はこの教訓を一度ならず何度も学ばねばならなかったような気がします。いえ、いろいろな意味では、今なお学んでいるのです

                                         

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